オグリキャップ

　──さぁ最終コーナーを進んでゆく。トップを行くのはタマモクロス。 続いてスーパークリークがじわじわと上がってくる！差は1バ身、続いて4番…… 　「はぁッ…はぁッ……くッ…！！」 　 　吹き付ける寒風が頬を刺すのに、焼かれているかのように身体が熱い。 力を込めて突き出す脚は、しかし鉛のように重く、肺は張り裂けそうな程に痛い。 目の前が、薄暗くなりだした。

「トレーナー、少しいいか」 トレーニング後のミーティングを終えて、明日の予定を確認していると、オグリキャップが真剣な声色で話しかけてきた。 彼女の方を見ると、声色と同様に眼差しも真剣だった。 普段、オグリキャップの表情は固くてわかりづらいが彼女のトレーナーともなれば普段の表情との見分け方はなんとなくでわかる。

早朝。 朝の冷え込みをしみじみと感じながら、今日も一日の準備をしていると、ふと人の気配を感じて振り返る。 その気配の正体は、芦毛の怪物ことオグリキャップだった。 「オグリか…おはよう、はやいんだな」 「トレーナーもな。おはよう」 「こんな朝早くからからトレーニング？」

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体に上手く力が入らない。 練習に集中出来ていない。 トレーナーのことが頭から離れない。 もっとトレーナーの近くにいたい。 もっとトレーナーの匂いを感じたい。 私はどうしてしまったのだろうか。 イナリ、クリーク、タマ。この原因を知っているなら今すぐ教えて欲しい。 でないと、私がどうにかなってしまいそうだから…

足が痛い。 　具体的には、右足の爪先がじくじくと痛み始めた。 　 　事の発端は昼過ぎ、学生の皆が授業を受けている間に頼んでいた勝負服用の蹄鉄を受け取りに行った時だ。 　行きも引き渡しも上手く行ったというのに、帰りの電車で大きく揺れた時思いっきり脚を踏まれてしまった。 　相手はウマ娘のキャリアウーマン。

「その、出来たみたいなんだ……」 「え……」 とある日の夕方。 最近担当することになったウマ娘であるオグリキャップからトレーナー室へと呼び出された俺は、彼女の衝撃的な発言に思わず言葉を失った。 出来たって何が？夕飯か？ そう言って笑って誤魔化せるような雰囲気ではなかった。

「………」 一心不乱にキーボードを打鍵する。 カタカタ、と小気味良い音が静寂なトレーナー室に響く。 トレーナーの職に就いてから、報告書の作成やレース出走の手続きなどにより、キーボードを叩く機会が増えた。 その甲斐あって、いちいち文字盤を見ずに正確に打てるようになった。 我ながら何も見ずに文字を効率よく打てるのは大きな成長だと思う。

天高くウマ娘肥ゆる秋、葦毛のウマ娘・オグリキャップとそのトレーナー・タマモクロスはトレセン学園の食堂のど真ん中に設けられた特設ステージの袖でその時を待っていた。 　 「オグリ、今どんな気分や？」 「これ以上ないくらいワクワクしてるぞ、タマ」 「そら何よりや。行くでオグリ！」 「ああ、行こう！」

練習の終わり、私は日ごろからトレーナーに抱いていた疑問を投げかける。 　 「トレーナー、一ついいだろうか」 「どうした、オグリ。質問なんて珍しい」 「どうして、トレーナーは、そこまで頑張れるんだ？……日ごろから、30後半になると体力が持たないなんて言うくせに、トレーナーは、誰よりも働いている」

私の所属する中央トレセン学園には、日本全国からたくさんのウマ娘が集まっている。 なので、その近辺はちょっとした学生街だ。 　 はちみーのような屋台もそこら中で見かけるし、ゲームセンターやカラオケ、映画館を筆頭に娯楽施設もいっぱいある。 商店街もたびたび学生向けのイベントを開催しているそうだ。

今日、オグリキャップがトゥインクルシリーズを引退するというニュースが流れてきた。彼女は多くの人に影響を与えてきたウマ娘だ。彼女に憧れたウマ娘は数知れず、彼女の存在でトゥインクルシリーズは大きく盛り上がった。何より彼女は自分にも活力を与えてくれた。 　 受験に失敗して何も希望が見いだせなかったあの頃、彼女は地方から中央にやってきた。

　『我々の予想を覆し！クラシック三冠を占う最後のレース、栄光ある菊花賞を制したのは、スーパークリークです！！！』 　 　 　万雷のブーイングの中。 　 　彼女は微笑んだ。 　 　 　 　 　 　 　 　「クリーク。おなかが減ってしまった・・・」 　 　くぅくぅと。かわいらしくお腹を鳴らす友人に、スーパークリークは微笑む。

『おおっと、オグリキャップ一気に躍り出た！オグリキャップ先頭だ！後続を引き離して二バ身、三バ身そのままゴール！１着はオグリキャップ！』 　 「やっぱり強いなぁオグリキャップ！だれだよ芦毛のウマ娘は走らないとか言ったやつ！」 　 「ああ！正直、地方で強いからといって中央で通用するか？とも思ったけど、こんなに強いんだったらそりゃ中央にも来るよな！」

ジリリリリリリリ…… けたたましいベルの音で体を起こす。 この音がとても嫌いだった。 これが鳴ると自分の憩いの時間が消える感覚があって辛かった。 だが、今は存外悪くないと思える きっと希望が見えたからだ。 　 朝の準備を終え、気にしていなかった身だしなみを整える。必死にトレーニングメニューを書き留めたノートも忘れず持っていく。