サイレンススズカ

その気持ちに気づいたのはいつだったのか、今でもはっきりと思い出せます。 特別な日、特別な時間というわけでもありませんでした。 大きなレースが終わって一段落した日。調整のためにトレーニングで軽く中距離を流していた瞬間。体が軽くて、流すつもりがついついスピードを上げてしまいます。 ストップウォッチを手に、トレーナーさんが苦笑するのがコースの横に見えました。

私のトレーナーさんは他のトレーナーより感情表現が豊かでスキンシップが激しい人でした。毎日の練習が終わると今日もよく頑張ったなと私の頭をなで、タイムが更新されると自分のように喜び抱きしめてくれました。初めの内は子ども扱いされていると感じて嫌でしたし、辞めてもらうよう彼に言いました。

「俺が最高の先頭の景色を見せるよ」 そう言われた時は半信半疑だった、半ば私は途中から走る意味すら忘れてしまっていた、皆の視線が苦しくて先頭に立ち大逃げしていた自分 トレーナーさんは最高の景色を見せる為私を全力でサポートしてくれた 走ることの楽しさを見失ってる時は 「気分を変えて、違う場所で走ってみないか？俺が良い所に連れて行こう」 『良い所…ですか？』

ご褒美。 それは俺の担当のサイレンススズカがモチベーションを保てるように提案し、いつからかお約束のようになったシステム。 それは食べ物だったり、やりたいことや行きたい場所だったりする。とにかくその時スズカが欲しいものを目標とすることで、レース以外の事だとモチベーションを高めにくい彼女のやる気維持に繋げている。

「お疲れ、今日もよく頑張ったなスズカ！」 「はい、ありがとうございますトレーナーさん……！」「はぁ……」 ため息が出る。いつ、トレーナーさんを好きになったのかしら。 今でこそスペちゃんみたいな可愛い後輩ができて、多少は社交的になれたけど……最初は本当に走ることにしか興味のない、愛想のない子だったと思います。

私が初めてスぺ先輩を見たのは、編入初日のレース場だった。 弥生賞 クラシック三冠の初戦 皐月賞の前哨戦であるそこで、あの人は素晴らしい走りをしていた。 後ろから豪快にごぼう抜きで抜き去っていくその走りは、本当にきれいで、私はずっと見ていたいと思うぐらい見惚れてしまった。

ウマ娘、という種族がいる。構造的には人とはそんなに大して変わらないのだが、彼女たちには人にはない尻尾や耳がある。まぁそれも可愛らしいので俺はなんとも思わんが。 さて、どうしてこんな脈絡もない話をしているかと言うと、俺には幼馴染のウマ娘がいる。可愛らしくて、いつも同い年である俺の後ろをひょこひょこと着いてきていた妹みたいな存在の奴だ。

トレセン学園のカフェテリア、今日はトレーニングが休みという事で同じチームに所属しているサイレンススズカとメジロマックイーンは2人でスイーツを食べていた。 そんな穏やかな雰囲気の中、スズカが呟いた。 「トレーナーさんはどんな女性が好みなのかしら」 「はい？」

何時も姉の背中を追いかけていた。 ウマ娘の宿命か、走る事が何よりも好きだった姉と私は、何時も原っぱを河原を、そしてどこまでも続く故郷の田舎道を共に駆けていたような気がする。 元々そんなに愛想の良く無い姉と、そんな姉にべったりだった「私」は友達もあまり出来ず、自然と何時も姉妹二人で一緒に過ごしていた。

それは授業が終わって部室へ行く最中の事でした。 「それでね、トレーナーさんったらわざわざそのために1度戻ってきてね…」 「あははっスズカさんのトレーナーさんって案外お茶目なんですね」 「そうなのトレーナーさん、いつもはあんなに格好いいのに時々可愛らしんだから…」

その娘はどこか浮世離れしたような静かな空気をまとっていた。赤朽葉色というのか、赤みがかった茶色の髪に、碧く水を湛えたような緑柱色の眸。まとう空気と相俟って静けさに沈む秋を思わせる娘の美しい緑柱色の眸はいつも遠くを見ていて、時折綻ぶように微笑みにとける。 ──あの子は何処を見ているのだろうか。

俺のトレーナー室には家具が多い。散らかっている訳では無いが、ハンモックやらこたつやらリクライニングチェアやらヒトを駄目にするソファやら。基本的に俺が寝るときに使う物が多い。 この前スズカに怒られたので流石にこたつはしまったが。よく昼寝をする俺にとっては寝る場所の選択肢が多いと楽しいものだ。

トレセン学園卒業式の日、サイレンススズカは独り決意を固めていた。 3年間秘めた想いを今日ここでトレーナーさんに伝える！ 今日こそが私の恋の天皇賞！ サイレンススズカゲートイン、まもなく出走です。 厳かに執り行われた卒業式も終わり、ここカフェテリアでは卒業記念パーティーが行われていた。

私、サイレンススズカのトレーナーさんはとにかく口が悪い。日常生活では清廉な若者といった態度。 だけど、私のレースの応援になると… 「行けえぇ！スズカあぁ！」 「轢き〇せえぇ！」 「絶対に逃がすなあぁ！」 嘘でしょ…私、逃げなのに… ここは中央トレセン学園。資格の取得難易度が高いトレーナーの中でも、特別に秀でたヒトが集まる筈なのに…

春の香りが漂う朝。私は一人、河川敷を走っている。いつもは学園にあるターフで走るけど今日は休日。学園に入る門は閉められている。朝の河川敷は私のように走る人がちらほらと見えはするけど、昼間や夕方に散歩する人よりも少ない。息を吐いても白くはならないけど、半袖ではまだ寒い中途半端な寒さだからだろ。一人黙々と、朝の世界を走る。